リクエストナンバー 1祇園祭BLUES(1〜10)  (11〜最終回)

祇園祭BLUES 1

その時僕は高校一年生。

斜め前の席に座っていた女の子にハートをぶち抜かれた。天使に違いない。
好きにならずにいられない。まさにその日から学園天国だ。
その日から僕のお友達ネットワークを最大限に活用し、彼女の情報収拾に勤しむ。
次々に寄せられる情報。彼氏はいないらしい。家は府庁前の近くだ。両親と弟一人。
成績は恐ろしく優秀。書道三段。中学の時からかなり注目されてた子でトライした男子は二桁はいる。
情報を集めて来た友達の総合判断は「古川には絶対無理。似合わないにもほどがある。即あきらめるべし」

「なんで似合わなへんねん。上品な僕にピッタリではないか。」
「朝から授業をサボってパチンコ屋に通うお前に振り向くわけがない」
「なるほど。簡単なことや。今日からパチンコはやめる」
「やっぱりお前はミドリ虫に並ぶ単細胞生物だ」

なんと言われようと一度燃え上がった恋の炎は消せない。

「他に何か情報はないのか?好きな音楽とか…」
「まるでスッポンやな。そのしつこさに免じて教えてやるからコーヒーおごれ」

行きつけの喫茶店「寿苑」で250円のアイスコーヒーと引き換えに手に入れた情報。

彼女はロックが好きでQUEENとディープパープル、ベイシティーローラーズが好み。

やっと見つけた共通点。これこそ恋の突破口。恋の神様は僕に微笑んた。

続きは明日ね〜。引っ張るで〜。皆の衆覚悟しなされp(^^)q

祇園祭BLUES 2

 ベイシティーローラーズ以外のLPレコードは全て所有していた、
つまり僕の彼女に対する音楽的弱点はベイシティーローラーズのみであった。
ぐずぐずしてはいられない。

僕は授業が終わるとすぐに三条商店街にある福田レコード店に自転車で駆けつけた。
エジンバラの騎士というアルバムがあり、すぐさま購入。一晩で全曲を口ずさめるようになった。
これが英単語や数学の公式ならまるで覚えられないのに、恋のパワーは恐ろしい。
翌日僕は彼女の斜め後ろからベイシティーローラーズの曲を口笛で吹き続けた。

しかし、唇が乾燥してなかなか綺麗な音がでない。
音は出ないが、吹きすぎてよだれがでた。
幼馴染のY君が「涙ぐましい努力は認めるが、しゃくれたひょっとこがよだれを流してるみたいで気持ち悪いからすぐにやめろ!」と忠告してくれた。
そんな顔を見られて嫌われては大変なので作戦変更。
こうなったら歌うしかない。
こんな時ギターが弾けるのは大きい。
クラッシックギター部のM君にガットギターを借り、昼休みにサタデーナイトという曲を歌いまくった
Y君とM君はさくらになってくれた。
Y君は大声で、「古川すごい!まるでレスラーがいるみたいや!」と叫んでくれた。
Y君は山口百恵しか聞かないので仕方ない。
レスラーではなく、ボーカルはレスリーマッコーエン。僕がレスラーならアントニオ猪木にしか見えないではないか。
しかし友情には感謝する。30分に渡る熱唱もむなしく、彼女は一度も見向きもしてくれなかった。

やはり恋の神様などいないのだ。現実は厳しい。

放課後Y君とM君は僕をなぐさめてくれた。有難いが気分は晴れない。こんな時はパチンコに限る。混み合った自転車置き場から自転車を引っ張り出し、パチンコ屋に行くべく裏門を出た僕が見たのは自分の自転車を押しながら歩いている彼女だった。彼女の自転車はパンクしていた。

「ど、どうしたんですか?パンクですか?」
僕は半ばやけくそで彼女に声を掛けた。
彼女は小さくうなづいた。うなづいた後、こらえきれなくなったように彼女の大きな瞳から涙がこぼれた

僕はびっくりして必死で言葉を捜した。

祇園祭BLUES 3

「あなたが笑顔になるために何か僕にできることはありませんか?」

今ならこんなセリフを言えるかも知れない。
しかしまだ16年位しか生きていない恋愛初心者の僕にそんな気の利いたこと言えるわけがなかった。
僕が見つけた精一杯の言葉・・・

「どうしたんですか?お腹痛いんですか?」

彼女は首を横に振りながら
「急いで行かなあかんとこあるの…」
なるほど。急いでるのにパンクはきつい。
「よかったら僕の自転車乗って行って下さい。明日返してくれたらいいです。
その自転車は僕が預かって明日返しますから、とにかく早よ行って下さい」
「かまへんの?」
「まったく構いません。ちなみに僕の自転車はおしゃくれ1号と言います」
一瞬彼女がプッと笑いそうになったのを僕は見逃さなかった。すかさず僕は笑いのカウンターパンチを放った。
「ついでに言うとくとY君の自転車はズルムケ2号でM君のが黒めがね3号です」
それを聞いて彼女は爆笑した。
「とりあえず早よ行って下さい」
彼女は「うん」と微笑んで北に向かっておしゃくれ1号に乗って行った。
その後ろ姿のなんと可憐なこと。し、しかも僕の手元にはさっきまで天使が乗っていた自転車があるのだ!
僕は路上にも関わらず、思わず天使の自転車に抱きついた。
抱きついた拍子に天使の自転車とこけた。
こけた拍子に擦りむいてひじとスネから血が出た。が、ちっとも痛くなかった。
気がつけば天使の自転車にからまり血を流し、倒れながらも半笑いしている僕を、
通りかかったY君とM君が不気味そうにのぞき込んでいだ。

「お前なんで路上で自転車とこけながら血ぃ流して笑ろてんねん!」
「かわいそうに。あんだけ熱唱したのに彼女は無反応やったし、とうとう頭に虫が湧いたんやな」

誰になんと言われても僕は恋のピンクの雲の上を歩き続けた。

「おい古川、これお前のチャリンコちゃうやんけ」
そう言って自転車に触りかけたY君の腕に僕はおもいっきり噛み付いた。
「触るな!天使が汚れる!」
「いたたた〜。何すんねんボケ!歯型付いたやないか。あかんやっぱりこいつ頭に虫湧いとる」

誰に何と言われようと、僕は天使と直接話をしてしかも天使の自転車を預かったのだ。
やっぱり恋の神様はおられるのかも知れない。
まるで壊れやすい卵を優しく包むように、僕は天使の自転車を押して家に帰った。

祇園祭BLUES 4

天使の自転車は翌日ピカピカになっていた。

僕の父は自動車やバイクを売ったり修理したりする会社を経営していた。
僕は小学校5年生からパンク修理を仕込まれていた。
なので自転車のパンクを修理するくらい朝飯前のラジオ体操をするより簡単なことだった。
パンクしたタイヤを調べるとすぐにチューブまで貫通している細い釘を見つけた。
僕は丁寧に釘を抜き、その釘を見つめた。
この釘がなかったら僕と彼女は話すことなどなかったのである。
考えようによってはベイシティーローラーズより力のある釘だ。
そう思うと僕は釘に感謝せずにはいられなかった。
僕は天使の自転車のサドルの上にハンカチを置き、その上にこの釘を乗せ、ひざまずき両手を合わせて釘にお礼を言った。
あまりの感動に思わず涙があふれてきた。

「釘様。この度はパンクさせていただき誠にありがとうございます。このご恩は生涯忘れません。今後ともお達者でパンクさせて下さいませ・・・・」

その様子を見ていた兄が腰を抜かし、大声で叫んだ。

「親父!えらいこっちゃ!ひ、ひであきが足と手ぇから血ぃ流して泣きながら自転車に手ぇ合わせてお経唱えとるで!」

遠巻きに見つめる父と兄の冷たい視線を無視し、僕はこころをこめてパンク修理した。
チューブは思ったより損傷が激しく、タイヤもすり減っていたので倉庫から同じサイズの新品のチューブとタイヤを引っ張り出し付け替えた。
在庫管理のうるさい父が文句を言おうとしたが、兄に
「今、妙に刺激したら今度は自転車食いよるかもしれんぞ・・・」と言われ黙って見ていた。

僕はDrスランプのガッちゃんではない。
パンク修理だけではなく、スポークの一本一本をワックスで磨き、ピカピカに仕上げ、ブレーキを調整し、キーキー音がしなくなるようにして、チェーンの張りも調整した。
最後に天使の自転車を自分の部屋に運ぼうとした僕を父と兄が羽交い絞めにした。 

「な、何すんねん!」→父と兄
「今日は僕、自転車と寝る」→僕のささやき
「あかん、こいつアホになっとる!早よ保険証持って来い!丸太町病院や!日赤や!」→父
「いや、保険証よりもう保健所に運んだほうがええぞ!」→兄

翌日僕は早起きをして、天使の自転車を自転車置き場の一番自転車を出しやすい場所にとめて天使が来るのを待った。
お勉強のよく出来る女子は遅刻などしないので必ず早く登校するのだ。
予想通りほどなく天使は登校してきた。天使は学年一勉強ができると噂されるN子と一緒だった。
僕はこのN子が苦手だった。いつも僕ら素行の良くない男子を軽蔑するような目で見ていたからだ。
しかし僕はなにひとつ悪いことなどしていない。なので自然にできるだけさわやかに天使に声をかけた。

「おはようございます」
天使はにっこりと微笑んでくれた。
「おはよう。昨日はどうもありがとう」
「いえいえ、なんのこれしき。それより昨日間に合いましたか?」
「うん。大丈夫」
「それは良かった。では自転車をお返しします」
天使はピカピカになった自転車を見てびっくりした。
「うわ〜ピカピカやん。ありがとう。おいくらですか?」
「と、とんでもない。うちの仕事は自転車無料修理株式会社なんですよ」
「そんなぁ。本当に言うてくれんと私困る・・・」
「いやいや、お金をもらうと私は父に叱られ、兄に保健所に連れて行かれるのです」
「そんなぁ・・・」

ここまで会話が弾んだところでN子が口をはさんできた。本当にいまいましい奴だ。
「そろそろ行こう。一時間目英語やし、単語の小テストあるよ・・・」
僕は腹の中で(しばくぞボケ!お前だけさっさと行けや!)と怒鳴りながら
「そうですよね。僕も小テストは気になってたんです。どうぞ行って下さい」と言った。

「私古川君とちょっと話しあるから、ごめんやけど先に行ってて」

この言葉に僕もN子もぶっ飛んだ。N子が天使の耳元でささいた。
「あかんよ。こんな不良としゃべったらアホが感染するよ」
僕は頭は悪いが耳だけはいい。くそ〜。アホが感染するならいの一番にN子にうつしてやる!
「そんなんゆうたらあかんよ。大丈夫やしお願い、先行ってて」
N子は仕方なく教室に行った。しっかり僕をにらみつけながら・・・

「あの、ほんまに小テストあるしもう行って下さい。これ自転車の鍵です」
「ありがとう。ほんまに助かったわ。それより古川君に聞きたいことあるんやけど、いい?」
「な、なんでも聞いてください。好きな教科ですか?志望校ですか?一応僕は東大受けて滑り止めは京大か阪大にしよかと・・・」
「そんなんちゃうんよ。あの、古川君パチンコ詳しいの?」
僕の頭にY君の忠告がよみがえった。パチンコするような奴に彼女は振り向かない・・・。

「パ、パチンコですか。いや〜、僕はパチンコなんか何の興味もありません。あんなん野蛮人のやることやないですか。気持ち悪いなぁ。やかましいし空気悪いし、もう最低ですやん」
「そうなんや。みんな古川君は授業さぼってパチンコ行ってるて噂してたし・・・」
「山本リンダも(噂を信じちゃいけないよ〜)って歌ってるやないですか。僕はパチンコなんぞなんの興味もありません。そやけどなんでなんですか?」
「うん。こんなん言うたらはずかしいんやけど、いっぺんパチンコやってみたいなぁて思って・・・」
「なんや僕、急にパチンコに興味が湧いて来ました」
「え、そやけどさっき何の興味もないて・・・」
「さっきの僕はどうかしてたんです。おかしいなぁ。今日は暑いからかなぁ・・・」
「ほんまに!ほんなら今度連れてってくれる?今度いつ行く予定?」
「今度て、今日の小テストなんも勉強してへんし、さぼって今から行く予定・・・なんてことはありません。やっぱり休みの日かな〜。そやけど休みの日はめっちゃ私服のポリ・・・いやおまわりさんがいるからやばいですし・・・」
「ほんなら今から行こうよ」
「はぁ!今からですか?ほんなら10時の開店まで喫茶店で時間つぶさんと・・・。いやいや嘘です」
「ええよ。私喫茶店行ったことないし。その喫茶店のお金だけでもおごらせて」
やっぱり釘さまにお祈りしといて良かった!恋の神様は僕の頭の上で祝福の鐘を鳴らし続けた。

と、思ったが、幸せはそんなに長続きはしないものである・・・。

祇園祭BLUES 5

いつもの喫茶店。いつもの窓際の席。

これで僕の目の前の席にY君がいたら全くいつもと変わらない日常。
しかし、今日は違う。目の前には天使が座っているのだ。
天使はアイスコーヒーを注文し、僕はいつものストロベリーソーダ。僕はコーヒーが飲めない。

「私、喫茶店て初めて。なんかドキドキするわ。古川君はいつも授業サボってここに来るの?」
 
「い、いいえとんでもない。Y君に無理やり連れてこられるんです。
僕はいつもここで夏目漱石や芥川龍之介なんかを読んでいます。」
(本当の愛読書は平凡パンチ、GORO、週刊エロトピア)
 「へぇ〜。読書家なんやね」
 「いや、たしなみ程度です。まぁ文学は心の栄養ですから」
 (これで俺のポイントは間違いなくUP↑。やったね)

「古川君こないだベイシティーローラーズのサタデーナイト歌ってたね。うまいし感動したんよ」
 (やった!聞いてくれてたんや。ありがとうY君、M君)
「いや〜、お恥ずかしい。ま、ギターはちょっと自信あるんです。上京区のクラプトンと言う奴もいます」
 
「へぇ、かっこいいやん。他にどんなん聴くの?」
(こ、この質問を待っていたのだ。こっちは情報収集済みである)
 「まぁ、いつも聴くのはディープパープルとクィーンかな」
 
「うそ〜!私と一緒やわ!」
(ポイントめちゃくちゃUP、UP、UP↑。よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ!)
 「あの、私、古川君に聞いて欲しいことあんの・・・」
 (うわ、どうしよ。私、前から古川君が好きやってんて言われるかも知れん・・・)
「な、なんでしょうか」

ここからクライマックスという時にY君が血相かいて飛び込んできた。
 「やっぱりここや。おい、お前こんなとこにいたらやばいで!」
「なんやねんいきなり」
 「英語の小テストの時にお前とこの子がいいひんかって、お前はいつものことやしええにゃけど、この子がいいひんのはおかしい言うことになったんや。
ほんならN子が、朝、古川君がこの子に嫌がらせみたいなんしてて困ってましたて言いよって、きっと古川が脅してどこかへ連れていった言う話になってな。古川ならありうる言うことになって、今担任やら生徒指導の岡本やらが必死で捜しとるぞ」

「げげ、まじか。くそN子め。嘘ばっかりかましやがって。どないしょ。そやけどなんで鬼の岡本も動いてんねん。またしばかれる」
 「あほ、お前知らんのか!岡本はこの子みたいな、まじめで可愛いくて成績のいい子がお気に入りなんや。お前たぶん殺されるな」
「そんなあほな。どないしょ」
 僕とY君が途方に暮れていると天使がささやいた
 
「私、今から急いで家に帰って学校に電話するわ。急にお母さんの具合が悪くなって帰った言うね。
古川君はここにいて知らん顔して座ってたらええの。ちょっと怒られるかもしれんけどごめんね」

僕とY君は放心状態になった。天使がこんなこと言うなんて・・・。しかし悪くないアイデアだ。
 「ほんならそうしましょう。急いで帰ってください。Yはすぐに岡本とこ行って俺が喫茶店で一人でおる言うてチクって来い」
「わかった」
 
「ごめんね、古川君。今日の5時に御所の蛤御門で待っててくれる?」
 「え、いいんですか?待ってます待ってます。夜明けまででも待ってます!」
「Y君もごめんね。ズルムケ2号かっこええよ」
 「いや、俺は別に・・・。そのズルムケ2号て何?」
 「そ、そんなことは今どうでもええやないか!今は急がんとあかん!」

ほどなくY君が岡本を連れてきた。岡本は柔道3段、少林寺拳法2段。僕は即、全面降伏した。
 「ごめんなさい先生。つい出来心で喫茶店に来ました。もうしません」

岡本は僕をにらみつけながら
 「おまえみたいなあほんだらどうでもええんじゃ。あの子はどこに行った」
 「あの子て誰ですか?」
 
岡本はいきなり僕の胸ぐらをねじあげた。
「とぼけんなよボケ!お前が朝に脅して連れ出したん見た言う子がおるんじゃ!」
 「ご、誤解です。僕はずっと一人です。ほんまです」
 「せ、先生、古川の言うことはほんまです。俺が古川見つけたときも一人でした」
「ほ、ほんまです。彼女はなんか自転車置き場から急いで帰らはりました。く、苦しい。僕はずっと一人です」
 
その後、僕は岡本に学校に連行され、会議室で嫌というほど怒鳴られ、二回張り倒された。
そこに担任が入ってきて、彼女から電話があり、母親の具合が悪く病院に行ったとの報告があった。
その報告は効果てきめんだった。
岡本は僕をにらみつけ、舌打ちをして

「ええか古川、あの子はお前みたいなアホが付き合う相手ちゃうんや。二度と近づくな。わかったか!」
 と言って3発目の平手打ちをかました。
ちょっと自分の顔が腫れてるのがわかった。

天使との恋は順調だが、どうも昨日から血だらけ、傷だらけで痛い目に会う。
だけど僕の心はウキウキしていた。今日の五時にまた天使と会えるのだ!!!

祇園祭BLUES 6

5時に待ち合わせの約束。

僕は4時30分から蛤御門で待っていた。一秒でも早く天使と会いたい。
天使は5時ちょうどにやってきた。やっぱりかわいい。天使は僕の顔を見て驚いた。

「どうしたんその顔!腫れてるよ。何かあったん?」
「いやいや、急に親知らずが腫れたみたいで…」
「そうなん?大丈夫?今朝はごめんね。私のせいやわ…」
「何を言うてはるんですか。助けてもろたんは僕ですから」
「古川君て優しいね。ちょっとそこのベンチに座らへん?」
そう言って天使は御所の中のベンチの横に自転車をとめて、前かごから籐のかごを取り出した。
「私あれから家に帰ってスイートポテト作ったんよ。ジュースも買ってきたし、自信ないけど食べてくれる?」
僕に異存があるわけがない。こ、こんな幸せが訪れるなんて。僕は今、天使の手作りのスイートポテトを食べているのだ。もちろん美味しい。
甘い。まさにスイート。けどさっき岡本にしばかれた時に切った唇から血が出てきて、ちょっと血の味がした。

「ふ、古川君、口から血ぃが出てるよ!」
天使は自分のハンカチで唇の血をぬぐってくれた。
「あ、ハンカチ汚れてしまいました。洗って返します」
「何言うてんのん。ええよそんなん」
「そうですか…。すいません」
(くそ、ハンカチ手に入れるチャンスやったのに!)
「ごめんね、ゆっくりしたいけど、私、今からまた行かなあかんとこあるし、あんまり時間ないねん」
「昨日も急いではりましたね。進学塾ですか?」
「ううん。違うよ」
天使はうつむき、悲しげな目をした。
「私のお母さん、もうずっと入院したはんねん」
「え、どっか悪いんですか?」
「うん…。ガンができてはって、体中に転移しててもう長いことないんよ…」

天使の目から涙がこぼれた。遠くでポーポーポポーと鳩が鳴いている。
そうか、それで昨日も行かなあかんとこある言うて泣いてたんや…。僕は言葉を失った。

「私、お母さん死ぬの嫌や。お母さん大好きやのに…」
何かしてあげたい強い思いが込み上げたが、何もしてあげられない。
そんな自分に腹が立つ。
天使が今朝、喫茶店でお母さんの具合が悪いと言ったのはまんざら嘘でもなかったのだ。
僕は必死で言葉を捜した。

「今朝のお母さんの話しはほんまやったんですか?」
「うん、朝、先生に事情言うて小テストだけ受けて帰る予定やったんよ」
「そうやったんですか。ほんならなんで僕と喫茶店なんかに?」
「私にもようわからへんねん。なんかそうしたかってん」
「すいません。そんなん全然知らんかったし。すいません」
「古川君が謝らんでいいよ」
「今から病院行かはるんでしょ。面会て時間制限あるんでしょ」
「うん。7時までやけど…」
「あと一時間ちょっとしかないやないですか!もう早く行ったげて下さい。ちょっとでもお母さんのそばにいたげて下さい」
「わかった。ありがとう」
「あの〜、もし迷惑ちごたら病院まで一緒に行っていいですか?」
「え、いいの!遠いよ」
「遠いて、どこですか?」
「北白川」
「町内みたいなもんです」

僕と天使は自転車で北白川の病院まで走った。走っている最中、僕はありったけのギャグ、物まね、冗談で天使を笑わせた。
ミッキーマウスの物まねは絶賛されたが、柴田恭平はあと一歩と言われた。
Y君とM君は20回以上僕の冗談のネタにされた。
天使はよく笑ってくれた。今の僕に唯一出来ること。悲しむ天使を笑わすこと…。

祇園祭BLUES 7

 その日から僕は毎日天使と自転車で病院まで行った。

僕と天使は病院まで、缶ジュースを飲んだり、ザ・ベスト10の1位を予想したり、英単語を覚えたり、しりとりをしたりした。
病院で苦しんでいるお母さんには申し訳ないが僕にとっては夢のような天使との時間だった。
いつのまにか季節は春から梅雨、そして初夏へと移って行った。

その日の天使は上機嫌だった。お母さんの具合が少し良くなったようだ。
「昨日、お母さん自分でベッドから起き上がらはってん。ほんでちょっとだけおかゆ食べはってん」
「ほんまか!良かったな!きっとあのなんたらワクチンが効いたんやで!」
「うん。そうかもしれん」
「早よようならはったらええな。お母さん元気にならはったら何がしたいん?」
「うん、私お母さんと一緒に買い物行きたい」
「そうか。大丸か高島屋か?服買うてもらうんか?」
「違うねん。私お母さんと一緒に商店街で普通に晩御飯とかの買い物したいねん」
「そうなんや」
「私お母さんとお買い物すんの好きやってん」
「うんうん」
(なんて天使は家庭的なんだろう。天使はふわふわ飛んでるだけでええのに、家庭的な天使て最高やな)
「そや、古川君、今日は授業早よ終わったしお母さんといつも行く商店街案内したげよか?」
僕に異存はない。天使とならばどこでも楽しい。

「ここのお肉屋さんのコロッケがおいしいんやで!
夕方になったらぎょうさんの行列になって、お母さんと一緒に並んで買うんやけど、その間お母さんと(しりとり)とかして遊ぶんが好きやってん」
「中学の入学式の帰りにここのお店のシュウマイ買うてもろてん」
「小学校の時にこのレコード屋さんでクリスマスの歌のレコード買ってもらったんよ。家に帰って歌ったらお母さんうまいねってほめてくれはってんよ」
「お母さんヤクルト配る仕事してはってんけど、一緒に私も配ってたんよ。ほんならこの電気屋さんの前でこけはってな。ヤクルトのビンが割れて手ぇ切らはってん。ようけ血が出て私びっくりして泣いたん覚えてるわ」
「幼稚園の帰り、いつもそこの公園でお母さんと遊んで帰るんが楽しみやってん。ブランコ100回押してくれはってん」

幼い頃の天使とお母さんの姿が目に浮かぶようだった。こんなによくしゃべる天使は初めてだった。天使は何かを確かめるようにお母さんとの思い出の糸を丁寧に手繰り寄せた。僕は何も言えずただ黙って聞いていた。

「お母さんと一緒にもういっぺんこの商店街で買い物できたらなぁ・・・」

天使の目からまた涙がこぼれた。

自分で言うのも何だが、どんな時でもマシンガンのように言葉を乱射するのが僕の得意技である。
しかし、この時僕のマシンガンの中には言葉という弾は一発も入ってなかった。

この時僕は世界で一番情けない高校一年生だった。大好きな女の子が目の前で悲しくて泣いているのに、何の言葉もかけてあげられない。
何もしてあげられない。
狼狽している僕に天使がささやいた。
「ごめんね、古川君。暗い話しばっかりして・・・」
うわ!なぐさめなあかん僕がなぐさめられてる!
こんなとき「俺たちの旅」の中村雅俊やったらどうするんやろ。
こんなとき「水もれ甲介」の石立鉄男ならどうやって笑わすんやろ。
全然どうしていいか分からない。
男の値打ちを一番試される時に僕はノックダウン↓
自転車でこけて血だらけになっても、岡本にしばかれて顔が腫れてもちっとも平気なのに、この無力感という自分の心のすり傷はヒリヒリと痛くてたまらなかった。

その日に僕にできたことと言えば、いつものようにただ天使と一緒に自転車で病院まで行くことだけだった。

祇園祭BLUES 8

 翌日天使は学校を休んだ。

何となく悪い予感がした。しかし確かめるすべがなかった。その翌日も天使は学校を休んだ。

そしてその日のホームルームの時間に担任が黒板に予定を書き込んだ。

7月16日 お通夜 午後5:30〜8:30
7月17日 告別式 午前10:00〜12:00

「告別式の時間帯は学校があるから、行ってあげようと思う人は明日のお通夜に行ってあげてください。
会場はご自宅です。場所が分からない人は知っている人に聞いて下さい」

7月16日午後五時半。僕とY君、M君は自転車でお通夜に向かうべく、天使の家の近くの公園に自転車を止めた。
天使の家は、天使と同じ小学校、中学校だったM君が知っていた。
天使の家に着くとすでにお焼香の長い列ができていた。僕たちは列の一番後ろに並んだ。

クラスメートはほぼ全員来ていた。
僕たちのすぐ前にはN子がいた。N子の横には岡本や担任がいた。
司会のような人がマイクで何か言っている。お経の声がしてきてお線香の匂いがする。
家の奥のほうからすすり泣く声が聞こえてくる。
お焼香の列はほんの少しずつ前に進み、天使の家の玄関に近づいた。

玄関の外から中を覗いてみると、玄関は狭いのに奥行きがかなりある。
典型的な京都の町家作り。天使は子どもの頃からずっとこの玄関から出入りしていたのかと思うとなんだかすごく愛おしい玄関に思えた。
目を閉じるとランドセルをしょった天使が「行ってきま〜す」と言いながら玄関から出てきて、
奥から天使のお母さんが「行ってらっしゃ〜い。気をつけてね!」という声が聞こえて来そうだ。

そんな優しいお母さんを天使は失ったのだ。そう思うと胸が切なくなった。

お焼香はまるで流れ作業のように淡々と進んで行った。僕は天使にどんな言葉をかけたらいいのだろう。また少し列が前に進む。一秒でも早く天使に会いたい気持ちと、会っても何もしてあげられない不甲斐ない気持ちが交錯していた。なんとか天使と二人で話しがしたい。けどそんなことはできないことくらい、いくらアホな僕にも理解できる。今夜は天使のお母さんのお通夜なのだ。

広い京間の和室に天使はいた。
焼香する人にお父さんと弟と一緒に頭を下げていた。
僕にはまだ気がついていない。
小学校6年生の弟はお父さんの横で声を出して泣いていた。
その声が参列者の涙を誘った。お父さんはどことなく天使に似ている。
遺影のお母さんは天使と目元がそっくりだ。天使は泣いてなかった。ごく普通の表情だ。
だけど僕には分かる。天使は今悲しみのどん底にいる。

N子が焼香を済ませ、泣きながら天使を抱きしめた。天使とN子は何か言葉を交わしている。
何を話しているのか知らないが、最後に天使が少し微笑んで「ありがとう」と言ったのは分かった。
僕もN子と同じように天使を抱きしめられたらどんなに幸せだろう・・・。
しかし今そんなことをしたら、また岡本に何をされるか分からない。

僕たちの順番が回って来た。お焼香の台は二つあって、Y君が気を利かせて天使に近い方の台を僕に回してくれた。
僕は天使を見つめたかった。天使に話しかけたかった。
けど、目いっぱいの理性を働かせ、その他大勢になりきった。

焼香が終わり、手拭が渡され、押し出されるように僕たちは家の外に出た。もうどうすることもできない。呆然と立ち尽くす僕を見てY君が「もういっぺん列に並んだらもういっぺん会えるで」と言った。なるほど!と思った。

けどすぐに僕たち3人の中で一番頭のいいM君が

「公園の滑り台やあるまいし、そんことしたらそれこそ古川の印象悪なるぞ。
今夜は身内だけで静かに過ごさせてあげなあかんのや。一晩中お線香が消えへんように家族が見守ったげなあかんのや」

と教えてくれた。僕とY君は納得し、ちょっとM君を尊敬した。

僕は天使の家族でも親戚でもないから、もう家の中に入ることはできない。岡本がいつものダミ声で

「お焼香の済んだ人はまっすぐ家に帰れ」

と静かに命令した。どうしようもない・・・。

僕たち3人は仕方なく家に帰ることにした。
Y君が喫茶店に行こうと誘ってくれたが、そんな気になれない。自転車をとめた公園に向かって歩いていると後ろから

「古川君ちょっと待って」

と声をかけられた。


祇園祭BLUES 9

 そこに立っていたのはN子だった。

「なんやねん。俺、今日一言もあの子に話しかけてへんぞ」

「そんなこと分かってるよ。私ずっと古川君がいらんことせんように監視してたもん」

「あぁそうですか。どうせまた俺が脅して連れて行くとでも言いたいんやろ。
お前のおかげで俺はあの時岡本に何発しばかれたおもてんねん」

「自業自得ちゃうのん」

「やかましい。ほんでいったい何の用やねん」

「あの子にこれ古川君に渡してって頼まれたんよ」

「え、あの子てあの子か?はよ貸せ」

僕はN子から渡された手紙をひったくるように受け取った。
ブルーの封筒の上の方を丁寧に手で破り、中の便箋を取り出した。

便箋に書かれていたのはたった1行だけだった。

[今日は宵山やから、祇園祭に連れて行って。私をここから連れ出して]

僕は驚いた。驚かないほうがおかしい。

「おい古川、なんて書いてあるんや?」

僕はY君に手紙を見せた。Y君はM君に見せて、M君はN子に見せた。

「あかんよ。そんなんあかんに決まってるやん。あの子お母さんが亡くなってどうかしてんにゃて」

M君もN子と同じ意見。いつもならこういうことがあると一番はしゃぐY君も、

「さすがに今日は無理やろ。そんなことしたら人間ちゃうで」

僕もそう思った。これは何かの間違いである。そうに違いない。僕はもう一度天使からのメッセージを見つめた。

よく考えたら、生まれて初めて天使からもらった手紙だ。

僕は毎日北白川の病院まで自転車で走った時のことを思い出した。

街の風景、風の匂い、天使の横顔、天使の笑顔、天使泣き顔・・・。

初めて天使が僕宛にくれた手紙・・・。

そして僕には はっきり 天使の声が 聞こえてきた。

「今日は宵山やから祇園祭に連れて行って。私をここから連れ出して!」

僕は天使の手紙をズボンの右ポケットに入れた。

「俺、今日で人間やめるわ」

「人間やめるてどういうことや?」

「どういうことやて、お前さっきそんなことしたら人間やないて言うたやんけ」

「そら言うたけど・・・。え、お前まさかあの子を祇園祭に連れ出すのか?」

「うん。俺行ってくるわ」

「何言うてんのん古川君!そんなんあかんに決まってるやん。
あの子のお父さんやらがええて言わはるわけないやん。
あかんて言わはるに決まってるやん。M君も古川君はよ止めてよ」

「うん。おい古川、ここは俺もN子の意見が正しいと思うで」

「正しいとか正しないとかの問題ちゃうんや。行くか行かへんかの問題や。
あの子は俺を待ってるんや。俺は行く!俺は今まであの子に何もしてあげられへんかった。
泣いてる時に声もかけられへんかった。
そやけど今俺にはあの子のためにやれることができたんや。俺は行く!」

僕は自転車のスタンドを跳ね上げ、立ちこぎで天使の家に走った。

Y君もM君もN子もあきれて僕を見ていた。

祇園祭BLUES 10

 天使の家に着くまで僕は考え続けた。

どうやって天使に会えばいいのだろう。
どうやって天使を連れ出せばいいのだろう。
誰に許可をもらえばいいのだろう。
お父さんしかいない。けど許可なんてもらえるはずがない。
ならば天使を連れて逃げ出すのか。しかしそんなことをして天使が喜ぶだろうか。

天使の家の前に到着し、自転車の上で僕が出した結論。

正々堂々と玄関から入り、土下座をして天使のお父さんに頼みこむ。

僕は目を閉じ、大きく深呼吸をして玄関から天使のいる和室に向かった。
お通夜の参列者はほとんどいなくなり、天使とお父さんと弟、あとは知らない大人が数人いるだけだった。
僕はまっすぐにお父さんの所へ行った。

天使がびっくりして僕を見た。そして天使は微笑んだ。

やっぱり僕のカンは当たっていた。天使は僕を待っていたんだ。

僕はお父さんの前で土下座をして天使と祇園祭に行きたいと頼み込んだ。
天使のお父さんが口を開く前に、天使の横に座っていた真珠のネックレスをしたおばさんがヒステリックに叫んだ。

「あんた何言うてんのか分かってんの!頭おかしいんちゃう!
今夜はお通夜やで。だいたいあんた誰やのん?お通夜の席にいきなり入って来て。警察呼ぶよ」

「僕は彼女と同じクラスの古川と言います。無茶なんは分かってます。けどお願いします」

「同級生やて!まさかあんたら付き合うてんのとちゃうやろな!お母さんが入院してる間にこんな不良と付き合ってたんか!あんたいつのまにそんな子になったんや!お母さんも泣いてるわ!」

このおばさんの隣に座っていたおじさんも後に続いた。おじさんはかなり酒くさかった。

「ワレ、常識ないのにもほどがあるぞコラッ。ヒッ。
今すぐ帰ったらん、ヒッ、かい、帰らへんかったらオノレの、ヒッヒッ、ドタマカチ割るぞ。ええから早よ帰れ。」

おじさんはすごんでいるつもりだろうが、ヒッとしゃっくりしながら話すのであんまり怖くなかった。

このおじさんの言葉で勢い付いたおばさんがさらにヒステリックに叫んだ

「だいたい兄さんもなんで黙ってんの!
兄さんがしっかりせぇへんしお姉ちゃんも病気になったし、娘もこんな不良と付き合うようになったんちゃうの!」

天使のお父さんがゆっくりと冷静に僕に話しかけた。

「古川君と言うたね。君が今どんなことを言うてるのか分かってますか?
今夜は私の妻の、それからこの子らの母親のお通夜です。
私ら家族が4人で一緒にいられる最後の夜なんです。
語りたい思い出がいっぱいあります。
君ももう高校一年になるなら、少しは人の気持ちも分かるでしょう。
今夜は黙って帰ってくれませんか?
家族だけの時間にしてくれませんか・・・」

ヒステリックなおばさんが百回叫ぶより説得力があった。
しゃっくりのおじさんより丁寧なことばやのに、はるかにすごみがあった。

僕は天使の顔を見た。天使は僕を見つめ涙をこぼした。
お焼香の時は泣いてなかった天使が、今僕を見て泣いている。僕は思った。

僕は天使を悲しませるためにここに来たのではない。
僕は天使を泣かせるためにここに来たのではない。

僕は天使の望みを叶えるためにここに来た。
天使は僕を頼ってくれたのだ。

なのにまた天使を泣かせてしまった。

お父さんの言うことももっともだ。
僕がみんなの意見を聞いてこの家に来なかったら、こんな風に天使を苦しめて泣かせることもなかった。

もうあきらめるしかなかった。どこまで僕は無力なんだろう・・・。

「すいませんでした・・・」

僕はそう言って立ち上がり、玄関に向かって歩き出した。
最終ラウンドでノックアウトされたボクサーがリングから帰るときはこんな気持ちかもしれない。
ヒステリックなおばさんが天使に何か説教している。
酒臭いおじさんが僕をにらみ付けていた。

家の外に出るとY君とM君がいた。落ち込んだ僕の様子をみて状況は理解できたようである。

「おい、古川、またN子が電話で岡本にチクリよったみたいや。
はよこっから離れたほうがええぞ。お前また何されるかわからへんぞ」

言われなくても早くここから離れたかった。

三人で自転車をこぎかけると、天使の家の玄関から、あのヒステリックなおばさんの
「あんたどこ行くの!」という叫び声が聞こえ、それと同時に天使が玄関から飛び出して来た。





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