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投稿者:ゴーストさん その2

女性には、
例えば旦那が浮気をしているとか、旦那の様子が変だとか、男性にはない、何かを感じられる力があると思います。
私もそんな何か感じるものを、1人目の子どもを産む前後から感じていました。
今思い返すと、私の少しだけ不幸な話は、あの辺りから始まっていたのかもしれません。

アメリカのニューヨークで1人目を産んでから帰国し、2・3ヶ月の間は家にいて子育てに追われていました。
でも私は自分で、私みたいな性格の人間は絶対子育てには向いていないと思っていました。

2・3ヶ月も家だけにいると、私も段々ストレスが溜まっていき、
でもそのストレスを解消する事もできずイライラしていました。
時々あまりにイライラすると、車を運転して子どもと一緒に、
その当時旦那と経営していた店に気分転換も兼ねて行っていました。

店には、旦那の友達だという私と同い年の女性が、私がニューヨークへ行く少し前から働いていました。
彼女は私にはまあまあ愛想が良く、旦那や店で働く男性スタッフ、また男性のお客さんにはすごく愛想が良い人でした。
多分、男性が好きそうなタイプの女性なのでしょうね。

半年程経つと、私の家だけにいる生活も限界に近づいてきました。
とにかく外に出たい!店に行き接客したい!
そんな思いが沸々と湧き出てきて、私は旦那に
「家だけにいて、子どもと2人だけで一日中いるとストレスが溜まるから、明日から店に戻る。」と言って、
店で仕事を再びする事を納得させました。

子どもは背中に負ぶって接客をしていました。
その当時、私と旦那は店と掛け持ちで外に露店も出していたので、
私が子どもを産んでからは旦那だけが店に4時頃までいて、それから露店の店を開けていました。

そんな生活を続けていたら、2人目を妊娠した事が判り、私は再びニューヨークへ行き2人目を産むことになりました。
1人目の時で勝手が分かっているので、自分1人で1人目を産んだ病院に行き、診察をしてもらう手続き等をしました。

2人目は予定日その日に産まれ、お産も2回目だったのでとても楽でした。
1人目の時と同じように、産まれてから1ヶ月程経ってから日本に帰国しました。
2人目を産んでニューヨークから帰国してから、私の子育ての忙しさは倍以上になりました。
子ども2人の年齢が1歳半しか変わらないので、まるで双子を育てている様な感じです。

私のストレスも2倍になっていました。
上の子にはご飯を作ったり、身の回りの世話をしたりしてやらないとならない。
下の子にはミルクをやったり、オムツを替えたり、寝かしつけたりと目が回りそうでした。
そんなに忙しいのに、旦那はいつも帰ってくるのが夜中の2時頃で、帰ってきても
「疲れてるから。」とご飯を食べて風呂に入り子どもの寝顔を見て寝る。
その繰り返しで、子どもの面倒を見てくれることはありませんでした。

また、その頃から店の経営もそんなに順調ではなくなっていったので、
旦那もストレスを感じるのか、外にいる時間が多くなっていました。


ある日私のストレスが爆発、朝早く子どもにミルクを飲ませた後、旦那を叩き起こしました。
旦那に、何故子育てを手伝わないのか、何故毎日帰ってくるのが遅いのか、その時思っていた不満を全部言いました。
子育てを手伝わないのは旦那の国では当たり前、子育ては母親がするもんだということでした。
毎日帰りが遅いのは、友達の所へ行っているということでした。

私は旦那に「友達って誰?」と聞きました。
すると旦那は「タンザニア人の友達で、彼の家で一緒にタバコを吸いながら話をしたりしている。」とのことでした。
私が車を運転して店に行く時、私たちの家から一番近くにある地下鉄の駅前を通ります。
旦那が言う友達の家は駅のすぐ近くのマンションで、私がいつも店に行く時はそのマンションの前も通るので、
実はそのマンションの前で旦那の車を何度も見かけていました。

だから私は、旦那がそのマンションに出入りしているのは知っていたのです。
あまりにも頻繁に旦那の車を見かけたので、私は何かが怪しいと感じていました。

「とにかく今は子どもにすごく手がかかるので、私1人では見れない時がある。なるべく仕事が終わったら早く帰ってきて。」
と旦那に言いました。
旦那は「分かった。」と言い、早く帰れるようにすると約束してくれました。

しかし、旦那はそれからも頻繁に帰りが遅いのが続き、さらに私の言った事を理解してくれない旦那に腹が立ち、
ストレスがさらに溜まっていきました。


ある日、店を閉めて家に帰ろうと車を運転していた時、ふと旦那が露店をしている所へ寄って帰ろうと思いました。
私は車を走らせて旦那のいる所へ行きました。
すると私がニューヨークへ行っている時に店で働いていた、旦那の友達の女性が一緒にいました。
それを見た私は、
「私は仕事が終わってから家で子どもの世話等で物凄く忙しいのに、旦那は女と楽しそうに話している!」と
その光景を見て無性に腹が立ってきて、旦那に一言文句を言わないと抑えきれなくなっていました。

私は路肩に車を停め、2人の子どもを連れて旦那の所へ行きました。
旦那は私と子どもたちに「ハイ!」と言って声をかけて、子どもを抱き上げました。
旦那の友達の女性は、私たちを見て少し驚いている様子でした。
私は旦那に「ちょっといい?」と言って旦那を彼女から少し離れた所へ連れて行き、
「何で彼女がここにいるの?」と聞きました。
「もしかしてあの子、毎晩あんたの所へ来てるの?」と聞くと、
「そんな事ないよ。たまに来るだけ。多分お金の話をしたいんやろ。」ということでした。

実は私が2人目を産みにニューヨークへ行く少し前、旦那が私に話があると言いました。
「何?」と聞くと、
「店の家賃を支払うお金が無いから、彼女から50万円を借りようと思ってる。
いろいろと頑張ってみたけどお金がどうしても集まらない。了承して欲しい。」と私に言ってきたのです。

もちろん反対でした。
あの女に絶対借りなんか作りたくなかったからです。
でも旦那は「他に方法が見つからない。貸してくれそうな友達には全てお金を借りていて、
まだ全部返し終わってないから誰も貸してはくれない。理解して欲しい。」とのことでした。

私が何とか出来るなら何とかしたいけれども、私にはすでに店の為に借りた借金が250万円程あり、
何処からも借りることも出来なくなっていました。
なのでしぶしぶ彼女から借金することを了承したのです。
「早めに終わってさっさと帰ってきて。」
私はそれだけを旦那に言って、子どもたちを連れて家へ帰りました。

その日も結局、旦那が帰ってきたのは夜中の3時ぐらいだったと思います。
私は、お昼ぐらいに店に行って子どもを店近くの保育園へ預け、夜9時に店を閉めて家に帰る、というパターンを繰り返していました。



ある日、店にナイジェリア人の男性が旦那を訪ねてきました。
その日は珍しく、旦那は早くから店に来ていて3階の事務所にいました。
「上にいるよ。」と言って3階を指差すと、彼は「ありがとう」と言って3階へと上がっていきました。

2人は2時間程一緒にいて、用事を済ませたのかナイジェリア人の男性だけが下りてきて帰っていきました。
このナイジェリア人の評判が良くないことは旦那から聞いて知っていたので、
何故彼が旦那を訪ねてくるのかが不思議でした。

それからも彼はたまに店に来ては、旦那と3階の事務所に数時間こもることがありました。
そのナイジェリア人が店に出入りするようになってから、旦那の様子が少しずつ変わっていきました。
ワンルームマンションを借りてそこに事務所を持ちたいと突然言い出したり、
一晩中帰ってこない事がしょっちゅうあったりするようになりました。

ご飯を食べていないのか見た目は痩せてきて、目つきもきつくなっていきました。
それらの事で頻繁に喧嘩をするようになり、私は実家に帰ることが多くなって、ますます旦那は家に帰って来なくなりました。
旦那の車を、地下鉄駅近くのあのタンザニア人のマンション前で見ることも毎日になっていました。



ある日の夜、旦那は珍しく家に帰ってきました。
旦那はタバコを吸う時、いつも台所の換気扇を回して吸っていました。
その日は、タバコを吸いながら何か錠剤を袋に色別に小分けしていました。

「何それ?」と尋ねると、旦那は「何でもない。」と言い、その錠剤をポケットにしまってまた出かけていきました。
その錠剤がMDMAであったことを、後に旦那の弟や旦那の友人から聞きました。

旦那がナイジェリア人から分けてもらって、他人に売りさばいていたそうです。
これが店にナイジェリア人の男性が訪ねてくる理由でした。

旦那が夜中に毎日クラブへ出入りしている事、旦那もMDMAを使っているらしい事等も聞かされました。
私の頭はぐちゃぐちゃになり、何をどう整理していいのかも分からず、1人で悩み、泣くことも多くなっていました。
些細な事で喧嘩が始まり、旦那が怒鳴って家を出て行く。そんなことの繰り返しでした。

その日の喧嘩はいつものようには終わりませんでした。
その日、私は店をスタッフに任せて家にいました。
旦那は昼間に家に帰ってきました
。「ただいま。」それだけ言うと旦那は台所の換気扇の所へ行ってタバコを吸い始めました。
そして錠剤を袋に小分けし始めました。

それを見ていた私はたまらない気持ちになり、それまで抑えていた感情が爆発しました。
でもその錠剤の事には触れず、以前から疑っていたタバコを一緒に吸う友人の話を持ち出しました。

「毎日あそこのマンション前に車を停めてるけど、何処に言ってるの?」
すると旦那は「自分も知ってるやろ。」とまたかと言わんばかりに、めんどくさそうに答えました。
「うそばっかり。その友達の所じゃなくってあの女の家に行ってるんやろ!」

この数ヶ月前に分かったのですが、タンザニア人の友人が住んでいるというマンションには、
私がニューヨークへ行く前に店を手伝うために来てもらった、あの女性も住んでいたのです。

それを知ってから私は、旦那がいつも行っているのはタンザニア人の友人の家ではなくて、
あの女の家に行っているのだと確信していました。
「彼女とはそんなんじゃない!彼女がいつも露店を出している所に来るのは、お金を返してほしいからや!」
「でもあんたの携帯にもしょっちゅうあの女から電話がかかってきてるやん!」

そんな喧嘩が20分程続き、お互いに言い合い、ついに旦那が私をひっぱたきました。
それから旦那は怒って出て行きました。
涙が溢れてくるのと同時に怒りがこみ上げてきました。
彼女にどうしても旦那との関係を聞きたくなり、電話をかけました。
何回か呼び出し音が鳴った後、彼女が電話に出ました。

「旦那との事で聞きたいことがあるから会いたい。」

そう言って、彼女と近くのレストランで待ち合わせをする事になりました。
私は子どもたちを車に乗せて、待ち合わせのレストランへ行きました。
そのレストランは私たちの家から車で5分程の所にあります。
車を駐車場に停めてレストランの中に入りました。
彼女は未だ来ていませんでした。

禁煙席へ案内してもらい席に座ると、子どもたちが食べ物と飲み物を欲しがったので注文しました。
子どもたちが食べるのを眺めながらも、胸中は穏やかではありません。
イライラし、何をどう切り出そうかと考えていました。

しばらくすると彼女が店に入ってきて、私と子どもを見つけると
「お待たせしました。」と一言私に言い、向かいの席に座りました。
彼女が注文し終わるのを待って、私は電話で話した内容を切り出しました。

「さっき電話で言ったことやけど、前からあなたが住むマンションの前に旦那がいつも車を停めてるのを見ている。
旦那は同じマンションに住むタンザニア人の友達の所にいつも行ってるって言ってるけど、
実はあなたの部屋へ行ってるのと違うの?」私はそう彼女に言いました。

彼女はしばらく黙って俯いてから、
「彼がいつも私のマンションの前に車を停めてるのは、その友人の所に行くのもあるけど、
何回かは私の部屋へ泊まりに来た事もある」と私に言いました。

私は「やっぱり」と頭の中で思い、と同時にその言葉を聞いた途端、無性に旦那と彼女に対して腹が立ってきました。
さらに彼女は
「ごめんなさい。奥さんには申し訳ないと思ってます。でも好きとかそういうのではなく、そうなってしまったんです。」と言いました。

その言葉を聞いて余計に腹が立ちました。
私は怒りを抑えながら、でも少し怒鳴り気味に
「あんた何言ってるん?旦那には私も子どもも2人いるの。私ら家族をいつも見てて知ってるやろ?」
彼女にそう言いました。 彼女は私の子どもたちを眺めながら黙っていました。
私が彼女を見る限り、とても反省しているようには見えません!
「この女をひっぱたいてやりたい!」と思いましたが、何とか自分を抑え込みました。

頭の中でいろいろな事を思い出しました。
旦那がこの女と露店等で一緒にいる時にはすでに男女の関係やったんや。
旦那は私にいつも彼女とは何でもないと言っていたのに、やっぱり違ったんや。
私は以前から、旦那に何度も彼女の事について聞いていました。
「本当に彼女とは何でもないのか?ただの友達と言ってるけど本当なのか?」
旦那は私に嘘をついてたんや、やっぱ裏切られてたんや…

今までずっと、そういう問題は他人からは聞いても、自分たちには一切関係ないと思っていました。
私と旦那の仲の良さは、旦那の友達の間でも有名でした。

子どもが生まれる前は、何処に行くにもいつも一緒でした。
同じ家に住んでいるのに、外からどちらかが電話をかけると、いつも1時間程話をするのは普通でした。
それは旦那が海外に仕入れに行き、向こうから電話をかけてくる時も変わりませんでした。

ショックでした。
全身の力が抜けていき、そこに座っていることも難しくなってきました。
涙が溢れ出し、彼女の前なのに大声で泣き出しそうになりました。

でも泣き出しそうになるのをグッと堪えて、黙って伝票を手に取ると、子どもたちの手を引いてレジへ向かいました。
支払いを済ませた後、車を停めている駐車場へ行き子どもたちを車に乗せて、
自分も運転席に座ると抑えていた涙が滝のように溢れてきました。

5分程泣き続け子どもたちを見ると、心配そうに上の子が「ママ大丈夫?」と声をかけてくれました。下
の子も心配そうに私を見ていました。
震える手で電話の番号を押して、私は父に電話をかけました。

父が電話に出ると、私は泣きながら父に言いました。
「お父さん、今から家に迎えに来てほしい。実家に行きたいんやけど、とても車を運転できそうにない。」
父は戸惑った様子で「どうしたんや?」と何回も尋ねてきました。
私はさっきまでの経緯を父に話しました。
それを聞いた父は「分かった。これから行くから家で待ってなさい。子どもたちは一緒か?」
そう聞いてきたので「一緒にいる。」と答えると電話を切り、運転をして家に帰りました。

2時間後、父が家に私たちを迎えに来てくれました。
父は私の顔を見ると少しホッとした様子でした。
もしかしたら自殺でもすると思っていたのでしょうか。

それから私と子どもたちは父の運転する車で実家へ行きました。
車の中で父に旦那が浮気をしていたこと、その浮気相手と、私たちはさっきまで会っていたこと等を話しました。
話を聞いてくれている父の顔も怒っている様子でした。

その日から3日、私は旦那に一切電話をかけませんでした。向こうからも電話はありません。
多分、家に帰ってないから、私と子どもたちが実家にいるのさえ知らないのでしょう。

4日目の晩、旦那から電話がありました。
「家に帰ったら誰もいないけど、何処にいる?」そう聞いてきました。
私は「彼女から何も聞いてへんの?」と言いました。
「誰、彼女って?」
「あんたのガールフレンドやんか。」私は旦那にそう言ってやりました。
「俺には彼女なんていない。それに何度も言ってるけど、彼女とは何でもない。彼女からはお金を借りてるだけ。」
まだそんな事を言ってきます。

私は旦那に
「この間、彼女に会って全部聞いてきたんやで。彼女が、あんたは何回か彼女の部屋に泊まったことがあるって言ってた。」
すると旦那は
「そんな彼女が言った事を信じるんか!何で勝手に彼女に会うんや!」そう言って電話を切ってしまいました。

私には全く理解不能でした。
何故彼女に会った事に怒っているのか。
そうじゃなくて旦那があの女とそういう関係だった事が問題やのに。また腹が立ってきました。

まるで私が何か悪いことをしたみたい!

電話を切った時に、私の頭に離婚の文字が浮かびました。
こんな事納得できない!自分の非を認めるどころか、私に怒ってる!

頭にきた私はそのままの勢いで父と母に話があると言い、リビングに集まってもらいました。
そして旦那がMDMAを売っている事、旦那自身も使っているらしい事を2人に話しました。
それを聞いた父は「そんなやつはあかん!!離婚しなさい。」と言い、
それを聞いていた母も頷いていました。
「やっぱりその方が子どもたちの為にもいいやんな。」
私はそう2人に言い、また自分にも言い聞かせていました。
それからも家に帰る気が起こらず、離婚について考えたいのもあり、しばらく実家にいました。



ある日、父から
「今度の土曜日、離婚の事について話し合いたいから彼に電話しなさい。」と言われ、旦那と会う約束をしました。

土曜日、私と父・母の3人で、旦那がいる事務所へ行きました。
そこで旦那の友人1人を交えて、5人で今後の事について話し合いを始めました。
旦那は一向に離婚することを認めず、父が旦那に子どもの為にも離婚した方がいいと言っても、全く聞く耳持たずでした。
呆れた父は「何度話しても無駄みたいや。帰るぞ。」と私と母に言い、実家へと戻りました。

実家に帰る車の中で父は「あれは薬で頭が変になっとる。まともに話をする事もできひん。」と旦那に対して怒っていました。
「早く離婚した方がいい。子どもたちの為にも。」

あの話し合いの日から数日間、私は旦那との離婚について実家でずっと考え続けていました。
離婚した方が良い、それはよく分かっていました。
でも離婚は出来れば避けたいとも思っていました。
私の中に、一度結婚したら簡単に離婚はしないという思いもあったからです。
考えても考えても、答えが出ませんでした。

数日経ったある日、私は父に
「旦那のことやけど、確かに今薬をやってて頭がおかしくなってる。
でも元々はいい人やし、薬を止めるように説得したい。」と言いました。
父は
「もしそれでも薬を止めへんかったらどうするんや?浮気だってされてるんやぞ!お前は2人の子どもの母親なんやで。」
「それでも止めへんかったら、今度こそ離婚する!」
と私が言うと、父は納得できないという表情でしたが、それ以上は何も言いませんでした。

翌日、私と子どもたちは家に帰りました。
いつも通りの生活に戻り、旦那が家に帰って来た時に薬を止めさせる話し合いをしようと待っていました。
あの日は私の誕生日でした。
私は店のスタッフと一緒に、店の家賃等を稼ぐ為、フリーマーケットに来ていました。
子どもたちは前日に実家に預けていました。

朝の8時頃、フリーマーケットの開催場所に到着し、手続きを済まして開店準備を始めました。
それから3〜4時間経ったぐらいだと思います。

私たちの方へ2・3人の男性が歩いてきました。
初めはお客さんかと思いましたが、男性の1人が私に声をかけてきました。
私に名前を尋ね私が「そうです。」と答えると、警察手帳を見せました。

すると警察官の1人が
「今朝方、旦那さんを薬物所持で逮捕しました。」と言いました。

訳が分からず呆然としていると、
「旦那さんと一緒にいた女性も逮捕しました。」とも言われました。

「一緒にいた女性って?」警察官の男性は彼女の名前を述べました。
これで2人の関係が決定的になりました。

「それで家を家宅捜索させて頂きたいので、一緒に家に来てください。」そう言われ、私と店のスタッフは片付け始めました。
私が警察官の男性に「少し時間がかかりますがよいですか?」と尋ねると、
「大丈夫です。終わるまで待ちます。」と、彼らはその場から一旦離れて、車の中から私たちが片付けるのを見ていました。

片付け終わると店のスタッフを店まで送っていき、店を閉店時間になったら閉めて帰ってほしいと伝えて、再び家まで車を運転しました。
運転している間、私の車の後ろを警察官の覆面パトカーがずっと走っていました。
家に着くと、家のマンションの前にはすでに違う覆面パトカーが待っており、
家の中、旦那の荷物、旦那の乗っている車等をすべて調べて、いろいろな物をダンボールへと入れていました。

総勢15人程だったと思います。
家宅捜索をされている間、私は1人の警察官から旦那が逮捕された経緯や場所等を話されていました。
警察官から彼女の事についても聞かれましたが、私は名前ぐらいしか知らないと答えました。

1時間半程、家宅捜索が続きました。
警察官は、後日警察署で私からも旦那のことについて話を聞きたい、また連絡をすると言い、帰っていきました。



長い1日でした。
私は疲れ果ててとりあえず少し寝たかったので、ベッドに入りました。
それから旦那は警察署に2・3ヶ月拘留された後、起訴されて、裁判が始まりました。

私が旦那の国選弁護人と会うことや、私も裁判に出廷しないといけない日もありました。
一度は証人として出廷する事もありました。
判決の日、検察官は懲役10年を求刑しましたが、判決は懲役7年になりました。執行猶予はなしです。

判決が下ったあの日から現在まで、旦那は刑務所に服役しています。
私は旦那とのいろいろな問題を解決出来ないまま、現在に至っています。
時々、旦那の面会には行っています。
旦那と直接話し合った訳ではないので、現在離婚については保留中です。

現在、旦那が逮捕されてから7年が経ちました。
正直、1人で子ども2人を育てるのは本当に大変でした。
もちろん、子育ては今も継続中です。

あの当時、いろいろな事を恨みました。
何故、私ばかりがこんな目に遭わないといけないのか?と。
でも、子どもたちが小学校に通い始め、ふるかわ先生のカウンセリングを受け始め、
ふるかわ先生から私よりももっと不幸な目に遭われている方たちの話を聞いていると、
生きているだけで十分なのかもと思います。

やっぱり女の勘は当たっていました。
もし旦那が私の言っている事に少しでも耳を傾けてさえいれば、こんな事にはなっていなかったかもしれません。
これが私の少し不幸な話です。

ちなみに、旦那と一緒に逮捕されたあの彼女ですが、起訴はされなかったそうです。
その後、彼女が実家に戻ったのか、何処にいるのかは誰も知らないそうです。

寄せられた感想から

ティービィーシィー
tbc
大変貴重な体験、経験をされたのですね。
あの時の衝撃が脳裏に蘇ってまいりました。
テレビで見ててすごくショッキングでした。
それを身近に体験されたのですから。
(しかもお一人でなおかつ妊娠8カ月の御身体で。)
私だったらもう不安で不安でどうしよう(パニック状態)という有様かもしれません。
しかし、何故か11日にショッキングな出来事がおこりましたね・・。
今年、みんなが幸せに元気で過ごせますようお祈りさせていただきたいと思います。peace!
pair-moon 私なら妊娠8ヶ月で飛行機に乗ることも出来なかったと思います。
9・11はテレビで見ていても震え上がるくらいの出来事だったのに 目の前で体験されたとは・・・
強い方だと思います。 私も見習いたいです。
5年3組 驚きました。 一気読みしてしまいました。
ものすごい体験をされたのですね。
しかも妊娠八ヶ月で!
わたしなら日本に帰ることをまず考えちゃいます。というよりその前にパニックになってしまうかも。
お腹に赤ちゃんがいるから、それだけ強くなれたのでしょうか?
同じ飛行機に乗っていた人たちと励ましあったりとか、あったのでしょうか?
その強さ、見習いたいです(^-^)


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